食べ物に感謝する奴はバカ。動物を殺しまくるイスラム教“犠牲祭”に参加してみた【閲覧注意】

こんにちは。コロナ渦のこの半年で3回目のエジプトにいるみさちゃす(@misachasu0209)です。

あなたは食事をする時「いただきます」と言いますか?

家庭や学校で「感謝する為」として教えられてきた「いただきます」。

はたして「いただきます」は必要なのでしょうか。

今回は家畜を殺しまくるイスラム教の祭典「犠牲祭」をエジプトで体験したので、そのレポをさせてください。

 

この記事にはヤギや牛の死体、
血などグロい写真が含まれています

※私主観で「食事が喉を通らなくなりそう」な写真にはモザイクをかけました。

グロいのが苦手な方は他の記事をお読みください。

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家畜を殺しまくる?イスラム教の犠牲祭

本日2021年7月20日はイスラム教の祝日「犠牲祭」。

犠牲祭とは簡単に説明すると、
神に食用動物を生贄として捧げ、みんなでワイワイ食べて貧しい人にも分け与えよう的なイスラム教のイベント。

4日間あります。

日本でいう「お正月に家族や友人みんなでワイワイしよう!」的な楽しいイメージをしていただくと分かりやすいでしょうか。

が、おせち料理で穏やかな日本とは違い、
動物を殺すのでそこら辺が血の海になります。

一般人がヤギや羊、牛を殺す。

はっきり言ってグロいです。

動物を殺すのでグロくないわけがありません。

日本をはじめ先進国ではお肉はスーパーでパックを買うもの。その過程は謎だし分からなくたって良い。

なるべく早めに書いておきます。

私はこの記事で「命に感謝しましょう」とか
「食育が〜」などと語る気はありません。

この記事は私が屠殺を目の当たりにし、それはどうだったのか・何を感じたのか。

グロ写真をモザイクにするかしないか。考えた末、私の主観で「食事ができなくなる」と思ったものはモザイクをかけました。

※閲覧は自己責任でお願い致します。

 

先進国から批判される犠牲祭

エジプト首都カイロ。犠牲祭2日目。

犠牲祭といえば血の海。

グロいものが苦手で、動物屠殺をこれまでわざわざ見たくなかったが、せっかく1年に1回しかない犠牲祭にたまたま出くわしたし経験として見に行く事にした

場所は宿泊しているホテルのスタッフに教えてもらった大きなモスク(イスラム教の教会)。

犠牲祭の影響でたくさんの人ごみ

「屠殺を見たかったらモスク周辺で探せ」との事だった。

動物愛護にうるさいヨーロッパなどの先進国から非難される事も多い犠牲祭。

理由は見た目がグロいからと、
動物の殺し方が優しくないから

ムスリム(イスラム教徒)は豚肉とアルコールが厳禁な事は有名だが、牛肉や羊肉などの肉類はイスラム教での殺し方が決まっている事を知る人は少ない

彼らは基本的に「イスラム教での殺し方」をした肉しか食べる事ができない。

先進国での食肉加工(屠殺工場)では動物をスタンガンなどで気絶させてから意識のない状態の動物を殺すが、イスラムでは生きたまま動物を殺す事が決まり

動物達は生きたまま喉をかっ切られる。それもあり「残酷」などと非難される。

 

お祭り!賑わうモスク前

現在は路上での屠殺が禁止されているエジプト。

繁華街で観る事は難しいらしく、安宿街からタクシーで10分程度のアル・サイード・ゼーナブ・モスクへと向かった。

モスク前。水道水?で作られたジュースが振舞われている。

タクシーといっても明朗会計で便利なUber。

犠牲祭は祝日なのでローカルレストラン等は休みが多く、Uberも混んでいる。まるで日本のGWのよう。

お祭りの雰囲気のモスク前

Uber車中、動物を殺すような台を持っている人がいて思わず「うわ…」と小声がもれた。

「動物を殺す台」は見た事が無かったが、なんとなくそれが「動物を殺す台」な気がした。

モスク前。仙人のような人。素人の目ではない。

 

屠殺を見に奥地へ…

—「どこに行けば屠殺を見れるのか」

たまたまそこにいたおっさんに話しかけたら道案内してくれる事になった。

白い服が道案内してくれたおっさん

エジプトの公用語はアラビア語。小池百合子氏がカイロ大学を卒業しアラビア語が話せる事で有名だ。

英語が通じなかったので、「犠牲祭」とググって出てきた動物の写真とジェスチャーでコミュニケーションに成功。

モスクから少し離れた街路へ歩くおっさんに着いていく。

お店が立ち並ぶような小さなゲートを抜けると、

この光景が目に飛び込んできた。

小さな子供も手伝っている

この先グロ写真がそれなりにあります

 

喉を切られて殺される動物達

目の前は血の海。たくさんのヤギが死んでいた。

首チョンパになっていないせいか、
思ったよりグロくない

殺されたばかりで悪臭もほとんど無かったのも大きいだろう。

モザイクなしの写真で見るとグロいが、「喉を切られた動物が倒れている」だけに感じられた。

血も真っ赤で、血糊のように感じてしまう。

なんだかリアルさがない。

後ろで吊るされている物体、内臓

血だらけ、血の海なのに無臭な事に拍子抜けした

…のは束の間、これは朝6時過ぎ。

1時間もすればハエがたかり、日本ではなかなか嗅ぐ事のない、途上国の肉屋の臭いがする。

例えるなら夏、肉を外で放置したら出るであろう臭気。死臭と表現すれば良いのだろうか。

 

この時まだ私は殺された動物は見ても、殺される瞬間は見ていなかった。

地面に置かれたヤギ5頭。

既に殺したヤギを処理してから新しいヤギを殺すらしい。

処理とは皮を剥いだり分解する事。

死んだ動物より血で汚れた作業台やナイフの方が生々しく感じた。

刃物が何か怖い

汚れていなくても恐ろしい雰囲気を醸し出している

 

生きたまま殺され数分苦しむ

写真や動画をパシャパシャ撮っている異教徒の私をみんな歓迎してくれた。

「ほら、あれを見て!」と違うおっさん。

突然大人の男達が牛を掴んでいた。

そして牛の首を切った。首チョンパではない。

「頸動脈を切ったんだな」と素人の私でも察する、そんな切り方。

最初、首の皮は繋がっている。

よく「首の皮一枚でつながって」という危機一髪・命拾い的な例えがあるが、今にもかろうじて繋がった皮が切れてしまうイメージかもしれない。

しかし実際の屠殺では首の皮は全然繋がっている。ただ「喉を切っただけ」。

首を切られてもすぐには絶命せず、「カー…コォォ…」と激しい寝息のような呼吸音を発する牛。

呼吸音といっても喉を切られているので声が出ない、声が抜けているような音だ。

そして足が暴れる。

前日、エジプトでいつも行く日本食屋の日本人大将から「牛は近くで見ない方が良い、牛の血を両手につけて服を汚される事があるから」と警告されていた。

海外によく行く人なら一度は見た事があるかもしれない。車に人間の手形

車とかにあるこういう手形。(車の場合は砂の手形とか)

これを血でやられる場合があるらしく、日本食屋の大将は気をつけるよう警告してくれた。

それもあり遠くで観察。

 

目の前で動物が殺された感想

「可哀想」とかは思わなかった。

ペットなどの愛玩動物とは違い「そういうもの」として見ているからだと思う。

可愛がられる為に生まれてきたんじゃない、
殺される為に生まれてきた。

同情はしなかったが、首をかっ切られても数分足がバタバタと動くので「うわぁ…!」とびっくりはした。

その驚きはゴキブリを殺した時「まだ動いてる」という恐怖に恐らく似ている。

そして「血が飛んできたり牛の足が自分に当たらないか」という恐怖。

大きな体でいきなり激しく動く牛の足が自分に当たったら普通に怖いし、もしそれで転んだら悲惨だ。血の海で転ぶ勇気はない。

 

男達は斧のようなナイフで肉を激しく切っていた。

その肉片が「自分の方に飛んでこないか」不安な私。

スーパーでしか肉を見ない、「料理」と割り切ってでしか肉を触らない私にとって、肉片が服や顔に飛んでくる事は気味が悪い恐怖だった。

 

しばらくするとヤギが目の前で何頭か殺された。

「うわぁ…」などとも思わなくなり、「可哀想」などと同情もしない。

目の前で殺されたヤギは、牛に比べて簡単に死んだ。

まるでカッターの刃で指を「サクッ」と怪我してしまうように首を切られ、割とすぐ死んだ。

動画を欲しがった医師免許持ちの先輩(だが医師ではない変わった人)に「動画送って」と言われ、LINEで動画を送ったら「切れ味良すぎでしょ」とコメントがきた。

こんな簡単に死ぬのか、と思ったと同時に「もしそれが人間や犬だったら」などと気持ち悪い連想が頭によぎってしまい、とにかくそれを頭から消すように努めた。

 

屠殺を見て変わった事

私は多分何も変わっていない。

「もっと命に感謝しよう」などといったありがちな感想を求められるのかもしれないが、何も変わっていない。

殺される為に生まれてきた家畜が殺される事に私は何も感じていない。

ベジタリアンになる気もないし割り切っているのだろう。

気絶させずに殺すのが残酷な件も「できれば動物が楽に死ねたら良いね」程度で、それを言い出したらキリが無いというか面倒臭いので、深くは思わなかった。

「写真を撮ってあげるよ!」と、連れてきてくれたおっさん。

少年の服にも血が付いている。私はスッピン。

どういう表情、どういうポーズをして良いか戸惑ったが、私はあえてピースした

顔は固まっているがピース。動物を自分達で殺し慣れていない国々の人から見たら残酷に映るかもしれないけど、お祭りとして明るく楽しそうだったから

ちなみに手に持っているのは紅茶。無料で貰えた

エジプトをはじめ中東諸国では観光客に金をせびる自称ガイドなど、「ウザい奴」が多い。

気前良く案内してくれるおっさんを前に「後からいくら要求、寄付しろとか言われるんだろう」などと考えた。

しかし一円も要求されず、ただただフレンドリーでお礼しか言っていない。

もし私が望めば肉を無料で分け与えてくれた気もする。そういうお祭りだから。

が、私は食に弱く臭みが一切無い牛豚鶏しか食べれないのでそれは求めなかった。

snowで撮っても不謹慎にならないオープンさ。
右のおっさんも猫耳。

食べ物に感謝する奴はバカ

殺される前のヤギ

あなたは食事をする時に「いただきます」と言いますか?

子供の頃「食べ物や作ってくれた人に感謝」と教わり「いただきます」と言う人が多いと思う。

私は食事前は必ず「いただきます」と手を合わせて言う。一人でも。

深い理由は無く、しいて言うなら誰かと一緒の時に「ちゃんとした人だな」と思われたり、ご馳走になる場合は相手(人間)への感謝・敬意の意味で使う。

私は正直、食材・食べ物には多分感謝してない。

あなたは食材に感謝していますか?

「命をいただく」から「いただきます」…もっともらしい言葉で感謝したところで、

感謝されても死んだ動物は一切救われない。

「感謝」すれば動物を殺して食べても良いという思想が人間のエゴなのではないだろうか。

もっとも、私は感謝しなくても食べたかったら誰かが殺してそれをお金で買えば良いと思ってる人間なのだが…。

 

—「同情するなら金をくれ」、

そんな言葉があるように、一円にも、そして何にもならない感謝は意味を成さないと思う。

そういう意味で前進無く「ただ食べ物に感謝する奴はバカ」

食べる事で「供養」すれば良いという考えも愚かだと思う。殺した動物を食べても捨ててもその動物は変わらない。

食べれば「許してもらえる」とでも思うのか。そもそも動物に許しを乞おうとしない姿勢こそ、人間も動物でありその頂点である事、つまり弱肉強食なのではないだろうか。

もし「感謝」に意味をもたせるなら、目の前の殺した動物、肉は生き返らないにしろせめて次の動物が苦痛無く死ぬ事を考えるとか、そういう生産的な事を意識するべきなのではないかと思う。

そもそも食べ物に「感謝」の概念が必要なのかだが…。

 

「動物がどう殺されるか知っていますか?」

肉を食べる人間を批判し菜食主義を押し付けてくる過激派ベジタリアンはそう主張する。(多くのベジタリアンは過激派。私調べ。)

あなたの感謝は何になってますか?

 

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